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自分の向かうべき道は?

仙台に転勤になり、ふと思うことが多々。
生まれ育った東北に戻ってきて、いろんな感情が溢れ出す。
そのきっかけは、5年前の東日本大震災。
その時、自分は新潟に住んでいて、新潟にいても強く長い揺れを感じ、テレビから流れてくる
衝撃的な映像を見て体が凍りつく。
仕事は手につかず、どうしたらいいか分からない。
2週間が経過して、現地でボランティアセンターが立ち上がったのを確認して、ボランティアに
駆け付ける。それを何回か繰り返し、初期のボランティアは落ち着く。
その後、医療関係者と合流して、多方面でのボランティアに携わるようになり、継続したボランティアを
できることに、ちょっと安堵。でも、それでいいのか?終わりなのか?
答えは見つからないまま、今月から仙台に。
仙台に来て、実際に住んでみて、また、いろんな方々と話すことで、今までとは違った感情が…
自分は人生半ばを過ぎ、残り少ない?人生・仕事をどうしようかと考えた時に、やはり大好きな東北で
最後は何か役に立って死にたい!!そんな思いが強くなって。
仙台には1年間の期限付きの転勤なので、その間に、残りの人生を東北のために役立てるには、どしたら
いいか熟考して行動しようと思います。
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長女の運動会

こんばんは。
今週末、3週間ぶりに新潟に戻り、長女の運動会を見てきました。
特に足が速いわけではないけど、50m走、障害物競争、綱引き、リレー、新潟甚句(踊り)など、
全てにおいて一生懸命頑張っている姿が見れてよかったです。たかだか、3週間ですが、ちょっと
成長したような気がしました。ただ、走る姿はカッコいいので、きちんと走り方を教えれば、早くなる
のかなぁ?なんて思いました。
運動会が終わって、夕食を食べ終わると、疲れがどっとでたようで、リビングに寝てしまいました。
その娘を2階のベッドまで運んで、ちょっとだけ添い寝。プチ幸せを感じました。
日曜の朝は、三男が1日部活で弁当が必要といことで、時間はかかりましたが、弁当作りました。
少し彩りが悪い感じがしましたが、意外に三男は喜んでくれて、今度はキャラ弁作ってと言われました。
いきなりハードルあげられても困りますね(笑)
三男は今年の3月まで、あまり学校に行けず、4月からの中学校生活はどうなるかと思いましたが、
中学校で新しい友達ができ、また部活も楽しく、毎日学校に行けているみたいで、親としてホッとして
ます。

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勉強会に参加してきました

こんにちは

今日は異業種勉強会に参加してきました。
講師は臨床宗教師の高橋悦堂さん。
ちょっと聞きなれない肩書、お仕事で、私も初めて聞きました。
うまく説明できるか分かりませんが、高橋さんは宮城県栗原市のお寺の住職で、5年前に東日本大震災に
あい、震災に関わるように。その時に、医師である岡部健さんと出会い、岡部さんから死にゆく人に
医者として最善の治療はできても、末期になると何もできない、それをできるのは宗教の分野だと
言っていて、そこで繫がったのがきっかけだそうです。死にゆく人は、死に対して準備ができていない
ために、すごく不安になり、それを医師や家族、周りにいる人が途方にくれる。それを、お寺の住職など
の宗教家が、患者の話を聞いて、適切に返答したりアドバイスすることで、安心して死を迎えることが
できるというものです。簡単なような難しいような。でも、私は、最近、その手の本を読んでいたので、
高橋さんの話がすーっと心に入ってきて、理解することができました。
おそらく、死を迎える人は、死んだらどうなるんだろう、どこに行くんだろう、これで最後など、真っ暗な
未来を思い浮かべ不安になると思います。でも、例えば、死んだら、あっちの世界に親愛なる人が
待っている、次に生まれ変わることもあるなど、死ぬことは必然だけど、次がある、待っている魂がある
と思えれば、不安も少しは和らぐのではないかと思いました。

震災直後に通った被災地に行ってみました

こんにちは

先週末に何気に自転車に乗ってたどり着いたのが、東日本大震災直後にボランティアで通った
多賀城でした。
多賀城は5年前に泥出しのボランティアをやった場所。懐かしくなり、当時ボランティアセンターが
あった市役所周辺やボランティア活動した家など見てきました。
あの時は、なんか戦地に行くような気を張り詰めて必死にやってて、そんな時、被災した方々から、
お菓子や温かいお茶をもらって、ホッとしたのを思い出しました。
被災した方々から聞いた話では、内陸まで津波が押し寄せて、車に乗った状態で流されて
亡くなっ方がたくさんいて、また、多賀城市内では、水が引いた後に、流されて亡くなった人があちこちで
見られたなど。
5年が経過し、当時の面影を残すものは、何もありません。
ただ、良かったのは、ボランティア活動した家が残っていて、住んでいる様子がうかがえたこと。
今度、その家にうかがって、できたら震災やその後のことを聞いてみようと思います。

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多賀城社会福祉協議会の建物の中にボランティアセンターがありました。毎日、長蛇の列ができてました。

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私がボランティアで泥出ししたところ。

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この大通りには、津波で流されたバスや乗用車がたくさん横たわってました。

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震災当時、地震の影響で電車は走っておらず、名古屋から来たボランティアは、仙台まで高速バスできて、仙台から
折り畳み自転車に乗って多賀城まできてました。(仙台⇔多賀城 片道15km)

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マイチャリ

女川町出島の祭りに参加してきました

こんにちは

ゴールデンウィーク最後の週末に東日本大震災で被災した宮城県女川町の離島・出島(いずしま)に
行ってきました。

この島には、震災1年後から5回訪れてます。
最初は、いつもの我々のボランティア(医療相談、マッサージ、炊き出し、餅つき、クラウン活動)などを
やってのですが、徐々に、区長さんから「実は……」と相談され

その相談とは、毎年島で行われる祭りがあり、高台にある神社から神輿を担いで港までおろし、みんなで
祝うのが、震災で担ぎ手の若者がいなくなってしまい、祭りができないかもしれない。そこで、できるだけ大勢で
神輿を担いで祭りを盛り上げていただきたい!!

その話を聞いて、我々は、これも立派なボランティア・交流活動だと思い、二つ返事で引き受け、それ以来
3度目の祭り参加。

祭りの前日は、島で唯一の民宿・出島に総勢25人で宿泊。いつもいつも、新鮮な魚介類を中心とした豪勢な
料理。その料理に舌鼓をうちながら、ボランティア、プライベート、遊びなど様々な話で盛り上がりました。
そして、なんといっても、いつも陰で我々を見守っている女将さんが、最後の方で一緒に飲みながら話を
してくれたこと。少しずつ、島の人たちと家族・仲間に近づいているような気持になりました。

祭り当日は、男子チーム、女子チームに分かれて活動。男子チームは神輿を担ぎ、女子チームは、出店・
餅つきの準備。毎年の事ですが、神輿を担ぐのはいいのですが、行きは高台から神輿を降ろし、帰りは
高台に上げる。いずれにしても、結構、疲れます。神輿を港(平場)まで下して、一旦休憩かと思いきや、
いきなり神輿の押し合い(綱引きの逆バージョン)をするように指示されて、必死に押し合います。へたすりゃ、
港におちるようなシチュエーション。これには参ります。
そんなへべれけになった体を癒してくれるのは、地元おじいちゃんの獅子ぶり、地元の生うに、女子チームの
餅、焼きそば、たこ焼き。どれをとっても最高でした。

我々としては、こんな地元の祭りに呼んでもらい、さらに神輿まで担がせていただき、交流ができるのは
とてもうれしく、楽しいことなのですが、できたら、将来的には震災前まで住んでいた若者が少しでも戻って
きて、自分たちで祭りを執り行ってもらいたい。そこに我々は、大勢の仲間と観光客で参加できればと思って
ます!!

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魂の解放

こんにちは

今月から仙台の会社に出向・転勤になりました。
家族と住み慣れた新潟からの単身赴任。
ここ数年、仕事が忙しく、人間関係の悩み、また年配になった故の責任などなど、ちょっと
背負いすぎたみたいで、自滅寸前でした。そこに、出向の話があり、藁をもつかむ思いで
飛びつきました。出向が決まって、ここ仙台に来るまでは、特に家族に対しては、後ろめたい
気持ちでいっぱいでした。でも、最近、手にした本を読んで、ちょっと気持ちが楽になりました。
その本は、ちょっとスピリチュアルな本で、輪廻転生を科学的に解析しようとしている内容。
魂はこの世で肉体を借りて、あの世で立てた目標、目的、計画を実行するために生きている。
生きるのが困難なのは当たり前で、それが修行。その修行は自分(魂)で計画したものだから、
逃げ出さずに頑張れば、乗り切ることができるはず。人間は一人ではなく、絶対に仲間がいて、
その仲間は前世からの味方。また、誰にでも守護霊的な魂が周りにいて見守ってくれている、
らしい。私は、結構、家族は二の次で(よく怒られますが…)、サッカーや被災地のボランティア
に行きます。ただただ、困っている人、助けを求めている人がいたら、できることをしてあげたい、
と思っているだけ。たぶん、こういったことは、前世でも互いに助け合ったりしていたから、自分は
その人達とつながろうとするのではないか?と勝手に解釈したら楽になりました。
仙台には、あまり知り合いもいないし、どうしようと思ったら、近くに小学校時の担任の先生、大学
時代の先輩夫婦、友達の子供、ボランティアの友達などなど、意外に多くの知り合いが住んでいて
ビックリしました。特に、小学校の先生とは先月に34年ぶりにクラス会でお会いしただけでなく、
先日、ご馳走になっったりして。この繋がり、そして、これから仙台で繫がる人達と、精一杯、自分の
人生を楽しもうと思います。もちろん、月に2回以上は、新潟の家にも帰りますよ~

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