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今、ぷれジョブが熱い!!

こんにちは~

11月30日(土)、新潟県長岡市のリリックホールで、「ぷれジョブIN新潟 フォーラム2013」

開催されます。500人規模の大会になりそうです。

昨日は、そのフォーラム準備の会議に出席してきました。

以前も何度か紹介しましたが、「ぷれジョブ」とは、障がいのある子どもたちのお仕事体験

プログラムを通して、地域に住む人たちが、互いのつながりを育み、温かな地域づくりを

目指す活動です。


2013年6月現在、新潟県内で22地域組織が活動しており、184人の子どもたちが、261の事業所と

458人のサポーターに支えられながら、継続的なお仕事体験にチャレンジしています。

一見、障がいのある子供達が企業にお願いして仕事の体験をしているだけのようですが、そこから

生まれるものが素晴らしいのです。

子供達は、お仕事を体験することで、少しずつ出来ることが増えていきます。そして、企業の方に

評価してもらうことで、自分が必要とされていることを自覚でき、自信がつきます。

企業(例えばコンビニなど)では、従業員の意識が変わったり、接客レベルが向上したり、地域の方

との交流が増えたり、ご来店客数が増加した、お店に活気が出るたり…などなど。

そして、いつも子供達を見てくれるサポーターは、1クール6カ月の間に、子供の成長を直に感じ、

自己有用感を得ることがれきます。単なる子供達のお仕事体験プログラムは、実は地域を繋ぐ

大事な役割を果たしているのです。


「ぼくの仕事は地域のみんなをつなぐこと」このスローガンのもとに新潟ではぷれジョブが行われて

います!!。全国的には47都道府県中、半数の21都道府県で行われていますが、知名度はまだまだ

低いようです。その中で、新潟はかなり活発に活動が行われています。11月のフォーラムでは、

全国各地から関心のある方もたくさん参加されることを祈っています。そして、このような活動が

全国で展開されることを望みます。
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新手の詐欺??

今朝、妻から昨日、あなたに変な電話があったよと言われ話を聞くと、電話の内容はこんな感じ

だったようです。


家の電話がなり妻が電話にでると、

A:「配送センターです。旦那様宛ての商品をお預かりしております。伺ってもよろしいですか?」

妻:「旦那から何も聞いてません。商品は何ですか?」

A:「はい、以前、ご注文いただいた商品です。」

妻:「だから何ですか?配送センターはどこの会社ですか?」

A:「はい、以前ご注文いただいたものです。配送センターです。」

妻は電話を切りました。

もちろん、私は商品を注文したことはなく、しかも電話の中でAは私の本名を言っているので、

ちょっと気持ち悪い感じがしました。おそらく、新手の詐欺なんでしょうね。本人がいない時に

商品を届け、代金引き換えでお金をだまし取るんでしょうね。

みなさん、お気をつけください。

眠れない…

誰にでもあることだと思いますが、今日は久しぶりに眠れず夜ふかしをしてます。

テレビをつけたらNHKで被災地を訪れた中学生についての番組をやっていました。中学生が

被災地の方々と接することで、命の大切さや自分たちの役割を再認識するような内容でした。

最近、仕事で関わっている若い人達を見ていると、仕事はもちろん、何に対しても一生懸命さが

足りない気がします。何をやりたいのか?何を考えているのか?ぼーっと生きていような感じが

します。仕事では指示されないと動かない指示待ち人間、こちらがアドバイスをすると、返事を

して素直に聞き入れるが実行は伴わない。ちょっと厳しくすると、ちょっと殻に閉じこもってしまう。

ん~どうしたものか? 

こんな若者達には、是非、被災地に行ってみてほしい。日本で起こった大災害。そこで、たくさんの

人が犠牲になり、たくさんの人が悲しみをかかえながらも一生懸命に生きている。その姿を見聞き

して、自分達がしなければならないことを感じてほしい。難しく考える必要はないけど、たぶん、

一生懸命に生きることが一番大事で、そうすることで自分も周りの人達も幸せになれるような気が

します。まずは自分で考えて一歩を踏み出すことですかね。頑張れ若人!!

こんなことがありました

先日、長男と私が参加している障がい児フットサル教室に三男も参加しました。

フットサル教室が終わって帰ろうと施設の玄関に向かっていると、三男と友達の女の子が

自動販売機の下を懐中電灯で照らしていました。また、悪戯しているのかと思ったのですが、

よくよく周りの人から聞いてみると…

自動販売機の前で車椅子のおばさんが困っていたので、子供たちが『どうかしましたか?』って

聞いたら『お金をおっことして…』とおばさんが言ったので、二人で一生懸命探していたようです。

落としたお金も見つかり、子供たちはお礼とお菓子をいただきました。

困った人を見て声をかけて助けてあげる、大人でも勇気がいることだと思うのですが、この二人は

何のためらいもなく自然にやってました。

家に帰ってから、家族みんなで三男をほめてあげ、本人もちょっと自慢気でした。

これからも、誰にでも優しい人に成長していってほしいです。

その前に、自分たちも見習わなければと痛感しました。

ハートカフェ初夏の縁日に行ってきました

先週の土曜日、長女と「第4回震災復興チャリティーイベント・ハートカフェ初夏の縁日」

行ってきました。

ハートカフェとは、パセリさんがセラピーを通して、いろんな人に出会い、手をつないで、

輪になっていきたい、そんな思いを活動にしたものです。


今回のイベントの内容は、セラピー体験、手作り雑貨販売、着物体験、青空ヨガ、音楽ライブ、

移動販売車による飲食販売。

長女はしおり作りを体験したり、クラウンの方にバルーンを作ってもらったり、お絵かきしたり、

いろいろ楽しんでました。

また、私も参加している被災地支援活動団体「チームませう」が「チームませう活動記~

被災地と新潟をつなぐ~」と題して会場で発表させていただきました。


おかげさまで、来場いただいた方々から「チームませう」に43,676円もの寄付をいただきました。

このお金は、今後の被災地支援(交流)活動に大事に使わせていただきます。ありがとうございました。

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会場の様子


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会場の様子


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長女がしおり作りに挑戦


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バルーンアート


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「チームませう」のブースでは大槌町の方々が作ったマスコットを販売。
3万円以上の収益がありました。ご協力ありがとうございました。


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帰りの車の中、長女は午前中運動会、午後はイベント参加ですっかり疲れて寝てしまいました。

長女の運動会

先週の土曜日に、長女(保育園:年長さん)の運動会があり、妻と三男と参加しました。

長女は年長さんなので、今年が保育園最後の運動会でした。生後6か月で保育園に入園して、

もう6年間も通ったことになります。短かったような、長かったような。保育園では、すっかり

おねいちゃんになり、よく下の子供達の面倒をみているようです。

運動会は、保育園のグランドが猫の額のように小さいため、去年から小学校の体育館を借りて

やってます。会場が広いので、園児たちは本当にのびのびとやってました。

長女が出た競技は、玉入れ、応援合戦、障害物リレー、バルーン、デカパンリレー、リレーなど

盛りだくさん。走るのが大好きな長女は、走る競技では全て一等賞でした!!

今回、長女が走る姿を初めてじっくり見ましたが、私が言うのもなんですが、姿勢がよくて

格好良かったです。将来が楽しみです!!

今回は保育園最後の運動会ということもあり、気合を入れて写真やビデオ撮影をしましたが、

晴れてはいても体育館は暗く、ピンボケの写真ばかりで、ちょっと残念でした(笑)。


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玉入れ

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一生懸命、応援してます!!

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母親と一緒にデカパン競争

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下の子供達のかけっこの応援をしてます

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「女々しくて」を踊ってます

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そしてリレー、走る姿が格好良かったです!!

被災地交流活動その2

今回の女川町・出島への訪問には秘話がありました。

それが5月13日の新潟日報に掲載されましたのでご紹介します。


以下、新潟日報・5月13日の朝刊より抜粋

「ちょうーさい(わっしょい)!」。東日本大震災で被災した宮城県女川町離島、出島の

寺間集落で12日、春祭りが開かれた。みこしをかつぐ男衆の中には新潟市北区の会社員、

井関徹也さんの姿があった。祭りへの参加は、1年前にボランティアで訪れた際に仲良く

なった集落出身の宮城県水産高校2年、阿部富博君との約束だった。

井関さんと阿部君は、地元住民と共に500キロはあるというみこしを威勢よく担ぎ上げた。

「元気な姿が見られてよかった」と井関さん。阿部君は「来てくれると信じてたから」と

白い歯を見せた。

2人が知り合ったのは昨年5月。井関さんは被災者支援のため、新潟市の仲間と一緒に女

川町の本土側の寺でボランティアをしていた。新潟からもち米を持参し、被災者を交えて

餅つきをしていたところ阿部君が訪れた。

阿部君は自宅を津波で失い、両親らと石巻市の仮設住宅で暮らしていた。「いつか島に帰って、

父と同じ漁師になるんだ」と明るく語る阿部君に、井関さんは心を打たれた。毎年5月に

開かれる集落の祭りに参加することを約束し、新潟市に戻ってからも携帯などで連絡を取り

続けた。

今回出島を訪れた井関さんの目には震災の爪痕はまだ色濃く見えた。海に近い地域はさら地の

まま。島に1校ずつあった小学校と中学校は、審査後に子供の減少が進むなどして、いずれも

今年の3月に閉校となった。寺間集落も震災雨に約230人いた住民の7割が石巻市など島外で

暮らす。春祭りは、井関さんら島外からのボランティアが参加したことで、ようやくみこしの

担ぎ手を確保した。

阿部君も石巻市での生活を続けている。しかし、井関さんには「漁師になるために、船の免許を

とろうと勉強している」と告げた。井関さんは「夢を追い続ける姿勢はすごい」と喜んだ。

来年も出島に訪れ、阿部君とみこしを担ぐつもりだ。


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被災地交流活動その1

こんにちは~

5月11日、12日の2日間、新潟チームませうのメンバー20名で被災地の女川・出島に行ってきました。

いつもなら、医療相談、マッサージが中心の活動ですが、今回は島の区長さんから祭りを盛り上げて

ほしいとのことで、祭りの手伝いをさせていただきました。

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女川港から船に乗って30分ほどで出島に着きます。こんな格好でお祭りに参加していいのか?


島に着いて区長さんと祭りの打ち合わせをすると、意外な展開に…

祭りのメインイベントは神社から港まで神輿を担いで練り歩くことで、震災前は島の若手が担いで

いたそうです。それが、震災後は500人いた島民は70人ほどまでに減り、若手の担ぎ手がいなく

なったそうです。この神輿が出ないと祭りにならないので、新潟チームに担ぎ手になってほしいと

依頼されました。その言葉を聞いた我々は、「自分達でいいのか?」と一瞬、頭をよぎりましたが、

でも自分達でお役にたてるならと、全員一致で引き受けることにしました。

1人のメンバーが「神輿を担がせていただけるのは光栄だけど、うちら男10人で担げるだろうか?

しかも、メンバーも高齢化しているし…。」そんな不安を抱きながら、その日は民宿で美味しい

料理、お酒をいただき、楽しく夜は更けていくのでした。



そして祭りの日がやってきました。メンバー全員、新潟から持ってきた真っ赤なハッピを着、頭に

鉢巻を巻いて気合を入れます。いざ出陣!!

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みんな似合ってるよ!!


丘の上にある神社に着き、神社の前にある神輿を見て、メンバー達はこれならいけると小さくガッツ

ポーズ。しかも、我々の他に地元の方、他地域のボランティアの方など10名ほど頼もしい助っ人が

いました。どっちが助っ人かわかりませんが(笑)。

神輿に御神体を乗せて出~発!!

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これが神輿です。神主さんが御神体を神輿に乗せているところ。


「ちょーさい、ちょーさい」の掛け声で、慎重に丘の上から神輿を担いでいきます。

気合いを入れて担いでるつもりでしたが、神輿の担ぎ棒が私の肩より上で浮いています。よーく見ると、

私の隣には長身の外人が神輿をつらそうに担いでいました。いや~思いがけず、楽をさせていただきました。

外人さん、ありがとう!!


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丘の上から港まで神輿を担いで練り歩きます。時間にして20分くらいかな?


ようやく行きのゴールの港について神輿をおろし、みんな一息ついていると、区長から「よーし、

神輿の押し合いをやるぞー!!」との声が。そして神輿の押し合いが始まりました。綱引きの逆バージョン

といった感じです。押しているうちに味方どおしで一体感が生まれ、腰をおとして必死に押し合い

ました。結果は引き分けに終わりました。以前は、これに負けると殴られたり、悔しくて泣く人も

いたそうです。


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私は海側だったのですが、ちょっと息を抜くと、海に落とされそうな恐怖感がありました。


神輿を担いだ後は、みんなで出店、餅つきでお祭りを盛り上げました!!

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バーベキューコンロ(炭)で、焼き鳥とウィンナーを焼いています。

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こちらは、今回の初メニュー「たこ焼き」です!!結構、評判が良かったです。


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地元のおばさんの指導のもと、餅つきをやりました。医療班長・今井先生も今回ばかりは聴診器を
杵に持ち替えて餅つきに参戦。おばさんに、かなりダメダシされてました(笑)。



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今回は私の長男も一緒に行きました。神輿は担ぎませんでしたが、小さな子供の面倒をよく見て
くれました。更地になった町や港を見て、地震のすさまじさを彼なりに感じていました。


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寺間地区に明治のころから受け継がれてきた「獅子ふり」という獅子舞


今、女川・出島には祭りをやりたくても、若い人がほとんどいません。震災前にあった小中学校も

廃校になりました。島の人達は、本当は島に残りたかったのでしょうが、仮設住宅が本土にできたことも

あり、多くの島民は本土に移住してしまいました。いつの日か、また、子供の声が聞こえ、人々が賑わい、

楽しむ、素晴らしい島に生まれ変わることを祈らずにいられません。