こんにちは~
昨日は、新潟「今を一生懸命活きる会」の定期会に参加してきました。
今回のテーマは「3.11から二年を過ぎようとしている東日本大震災、忘れないで」。発表内容:
1.新潟よろず医療会「チームませう」活動報告:今井先生(新潟県立がんセンター医師)が発表2.個人ボランティア体験記:私が発表しました。チーム「ませう」とは新潟の医師、整体師、薬剤師が中心となって、東日本大震災の被災地で
医療相談、マッサージ、傾聴、交流活動を行っている団体。震災直後から、被災地に入り、
医療中心に活動、その後、約2か月の間隔で石巻、陸前高田、いわき、女川、大槌などに
通い、息の長い活動を続けています。私も昨年の2月から4回参加させていただき、料理の
手伝いなどをさせていただきながら、被災地の方々と交流しました。
東日本大震災からもうすぐで2年が経過しようとしてますが、復興にはまだほど遠い状態です。
被災地の方から直接
「私たちを、地震があった事を忘れないで下さい。」と言われています。
これからも、チーム「ませう」として「心のケア」を中心に活動を続けていきたいと思います。
私からは、東日本大震災の直後に参加したボランティアの体験談を話させていただきました。以前、新潟水辺の会の会報へ同じ内容の記事を投稿し掲載(2011年6月1日)されましたので、
それを紹介します。長文ですみませんm(_ _)m。
1.はじめに
東日本大震災は3月11日に起こり、幸いにして私の実家である山形の被害はほとんど無かった。しかしながら、友人・知人の多い宮城県、福島県、岩手県などが大きな被害を受け、被害者、被災者が多く出た。地震発生後は、同じ東北人として何かやれることはないかと四六時中考え、早い段階での災害ボランティア参加を決意した。今回の地震は、以前の中越地震や中越沖地震とは比較にならないくらい甚大かつ広範囲で、ボランティアを受け入れる現地のボランティアセンターが立ちあがるまで2週間かかり、また、現地や周辺でのガソリンや食料調達も困難で、なかなか現地入りができなかった。ようやく自分が現地入りしたのは地震発生から3週間後の3月27日であった。その時でさえ、ガソリンや食料は現地調達できないという情報で、自分のガソリン、食料、宿泊場所は確保して行った。私が行った災害ボランティアは延べ7日、塩釜2日、多賀城5日、主なボランティア内容は浸水した家屋内の掃除(土砂撤去)、倒壊したコンクリートブロック塀の撤去などであった。
2.現地でのボランティアの流れ
まず、各地のボランティアセンターに行き、受付をする。その時に名前・住所・連絡先などを記入し、保険にも加入する。意外に怪我することが多い。受付が終わると、被災者のニーズとボランティアする人とのマッチング(見合い)が行われる。ここでは、自分のできる仕事を見極めて意思表明し参加する。活動内容にもよるが、6人~10人くらいのグループに分けられて、グループで活動・行動する。仕事の内容は主に再生可能な住宅の掃除、周辺の瓦礫の撤去、活動時間は9時~4時。
3.活動紹介(塩竃 3月27日)
活動内容は主に被災した家屋の掃除。塩竃では、津波で家が泥に被り、家の中に堆積した泥の撤去と掃除。手順としては、浸水した部屋にある家具、電気製品などを外に運び出し、使えるものとゴミの分別。次に床や畳の上に堆積した泥の撤去。塩竃では泥の中に重油が混じっており、粘り気が強くて比重が重い。泥の排除が非常に苦労した。次は水を多く含んだ畳の撤去。ほぼ再生不可。三条の水害でも同じような作業を行ったが、最後に畳下の板を剥がして、建物の内部に消石灰などで消毒したが、今回はそのような作業はなかった。塩竃の被災状況としては、基本的に港近くの低地での被害が大きい。浸水した家屋から判断して、道路より高さ4mくらいの津波が来たものと予測された。基礎が高い家屋でも、室内で2mくらい浸水しており、1階は完全浸水。基礎から持ち上がった家もあり、そのままでは住めない家も多かった。古い家屋では、室内の土壁が崩壊しており、強度が落ちていると思われた。とにかく泥の撤去が大変で、1件から多いところでは土嚢袋で50~100袋発生する。1袋あたり30kg以上。港近くでは、小型船舶が道路まで押し流されて、あちこちで道を塞いでいた。震災から2週間過ぎて、ようやく船の撤去が始まっていた。道路の脇には、津波で浸水して使えなくなった車が相当数置いてあった。車には、「無料で引き取ります」とのシールが張ってあった。ライフラインは水道は概ね復旧していたが、電気・ガスは一部のみ。スーパー・コンビ等の店はほとんど開いていなかった。もちろんガソリンスタンドは1件も開いておらず、開いていても午前中のみなど、現地で補給は不可能。初日のボランティア者に対しての説明で、余震が頻発しており、津波の来襲の可能性もあることから、ボランティア活動場所に着いたら、避難場所を決めてから活動するように言われ、被災地に入ったことを痛烈に感じた。幸いにして災害ボランティア中に大きな余震は無かった。
4.災害ボランティアに参加している人達
ボランティアには日本全国から集まっている。一緒に活動した人達は高齢者が多い。とは言っても、常日頃体を動かしている元気な人達。やはり、定年退職して時間が自由になるのだろう。これらの人達の多くは日本のどこかで災害があるとすぐに駆けつける人達である。あとは私のように、1日だけでも手伝いに行きたいと思っている人達。それに地元の人達で、特に高校生や大学生が多く参加していたのには驚いた。上越から来た人は電車を乗り継いで、仙台まで来て、仙台からは折りたたみの自転車で塩竃まで来ていた。名古屋から来た人は夜行バスで来て日中ボランティア活動をして、その日の夜の夜行バスで帰っていった。0泊2日。
5.感謝の言葉(多賀城)
見ず知らずの人達が日本各地から来てボランティアをしてくれることに感謝します。震災後、親戚や知人から無事を確認する電話がきたが、誰一人として泥出しなどの掃除に来てくれた人はいない。遠くの親戚より近くの他人。
6.現地ボランティアセンターの声
1日でも活動していただけるのは本当にありがたい。どうしても、みなさんの休日の都合上、ボランティアが土日に集中してしまう。できることなら、分散または継続的にやっていただけるとありがたい。
7.おわりに
災害ボランティアに参加して、新潟で周囲の人達に話をすると、以外に関心のある人が多かった。私と同じように、地震直後から現地で困っている人に対して何かできることはないものか、いてもたってもいられないと思う人が多くいたようだ。ただ、気持ちはあっても情報収集、手段がわからないようであった。情報としては、各市町村でボランティアセンターが立ち上がっており、インターネットで収集可能。不明な点は直接電話するのが望ましい。ボランティア活動の場所が遠方で宿泊を伴うことから、宿泊を確保できない場合はボランティアツアーなどもあるようなので、それに参加するのも一つの手。災害ボランティア活動に参加する際には、事前にマニュアル(http://www.nsv-net.jp/cat54/)、心得(http://www.nsv-net.jp/cat54/cat55/)を一読することをお勧めします。

塩釜 2011.3.28

塩釜 2011.3.28