ボランティアに参加して、その時に感じたことを
書き記します(当時の日記より)。
今回の震災は至上稀に見る規模の大きさで、私が経験した中越地震、
中越水害とは比べ物にならないものであった、中越地震や中越水害では
震災後1週間ほど。ボランティアセンターが立ち上がり、県内外の
ボランティアを受け入れ、震災地のニーズに合わせてボランティア活動
が行われる。私は水害の時は、浸水した家屋の掃除(家財道具や運び出し、
畳や床に堆積した泥の撤去、畳の撤去、床板を外して床下の消毒作業)を行った。
中越地震の時は、避難所の子供達の遊び相手をした。
今回は主に津波によるものが多く、水害時の対応と同じであった。ただ、
ボランティアが活動しているのは、被災地の中でも再生可能な家屋が中心である。
ボランティアには日本全国から集まっている。一緒に活動した人達は高齢者が多い。
とは言っても、常日頃体を動かしている元気な人達。やはり、定年退職して時間が
自由になるのだろう。これらの人達の多くは日本のどこかで災害があるとすぐに
駆けつける人達である。あとは私のように、1日だけでも手伝いに行きたいと
思っている人達。それに地元の人達で、特に高校生や大学生が多く参加していた
のには驚いた。上越から来た人は電車を乗り継いで、仙台まで来て、仙台からは
折りたたみの自転車で塩竃まで来ていた。名古屋から来た人は夜行バスで来て
日中ボランティア活動をして、その日の夜の夜行バスで帰っていった。0泊2日。
ボランティア活動というと単なる力仕事、言われた事をすればいいというイメージ
があると思うが、実際は活動は多岐に亘るし、そう単純ではない。
災害ボランティア活動の流れは、まず、各地のボランティアセンターに行き、受付をする。
その時に名前・住所・連絡先などを記入し、保険にも加入する。以外に怪我することが多い。
受付が終わると、被災者のニーズをボランティアする人とのマッチング(見合い)
が行われる。ここでは、自分のできる仕事を見極めて意思表明し参加する。ボランティアは
仕事ではなく、あくまで善意な活動なので、自分のできない仕事(自分の能力以上の仕事)、
いやな仕事は基本的にはやらない。やらなくていい。自分に合った仕事、自分のペースで
できる仕事を選べばいい。マッチングによって一緒に活動する人達も決まる。
人数は少ないと4~5人、多いと20人くらいになる。その中で一応のまとめ役、連絡係り
としてリーダーを選び出す。立候補する人がいなければ、センターの職員が指名する。
即席のリーダーだが、このリーダーの力量によって、活動が円滑にいくかが決まる。
依頼主がしっかりしていて、的確に事細かく指示してくれるのであれば、リーダーの出る
幕はあまりない。たいていの場合は、依頼主もどこから手をつけていいか分からない状態
であるため、リーダーが掃除のやり方を提案したり、依頼主との仲介役になり、活動者に
的確に指示、伝えることが重要である。また、ボランティア同士も互いの力量を推し量り、
無理せずマイペースでできるようにコミュニケーションをとることも重要。最初は、
みなもくもくと活動するが、一汗かいて休憩すると誰からともなく会話がはじまり、
どこから来たの?大丈夫だった?など。コミュニケーションが図られると、休憩後には、
より互いを心配しながら怪我しないように活動するようになる。リーダーの大事な役目は
他にもある。ボランティア活動にきている人(特に経験の浅い人、短期間しかできない人)は、
その熱意からがむしゃらに活動する傾向がある。自分の力量以上にやって怪我をすることもある。
そうならないように、みんなに声かけをして、こまめに休憩を入れることが大事になる。
ボランティアセンターでは1時間に10分の休憩を入れるように指導している。リーダーが
それを分からず活動すると、1日目でみんなダウンしてしまう。
❤心に残った言葉
見ず知らずの人達が日本各地から来てボランティアをしてくれることに感謝します。
震災後、親戚や知人から無事を確認する電話がきたが、誰一人として泥出しなどの
掃除に来てくれた人はいない。遠くの親戚より近くの他人。
❤ボランティアセンターの声
1日でも活動していただけるのは本当にありがたい。どうしても、みなさんの休日の都合上、
ボランティアが土日に集中してしまう。できることなら、分散または継続的にやって
いただけるとありがたい。
❤最後に
ボランティアには日本各地から来ている。今回の震災は規模が大きく、ボランティアに
来ている人も日に日に多くなった。自分のように個人の車で少人数で参加するのは
必ずしも被災地にとってはいいことではない。できることなら、まとまってバスなどで
長期参加するのが望まれる。個人参加が多いと、それだけ車の台数も増えて、被災地で
渋滞が発生し、緊急車両・物資輸送の通行の妨げになってしまう。東京などではバスで
ボランティアを送り迎えをしたり、ボランティアツアーなども企画・実施されている。
新潟でもそういったツアーやボランティアのやり方が発展してもいいのではないかと思う。
今回、私は周辺の人達に災害ボランティアの案内や話をした。だが、反応は良くなかった。
でも、話を聞くと、行きたい気持ちはあるが、どうすれば行けるのか、また被災地での対応
の仕方、止まる場所、食べ物など、いろいろ考えると、できない。いわゆる予備軍は
たくさんいるのだと感じ、安心した。新潟は2回の地震、水害など近年災害が多く発生した県で、
その都度、全国から多くのボランティアが来県し、復興の手伝いをしてくれた。その恩返しを
県民はしたいと思っているに違いない。ただ、その手段が分からないだけ。

塩釜 2011.3.28

塩釜 2011.3.28
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