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震災直後に通った被災地に行ってみました

こんにちは

先週末に何気に自転車に乗ってたどり着いたのが、東日本大震災直後にボランティアで通った
多賀城でした。
多賀城は5年前に泥出しのボランティアをやった場所。懐かしくなり、当時ボランティアセンターが
あった市役所周辺やボランティア活動した家など見てきました。
あの時は、なんか戦地に行くような気を張り詰めて必死にやってて、そんな時、被災した方々から、
お菓子や温かいお茶をもらって、ホッとしたのを思い出しました。
被災した方々から聞いた話では、内陸まで津波が押し寄せて、車に乗った状態で流されて
亡くなっ方がたくさんいて、また、多賀城市内では、水が引いた後に、流されて亡くなった人があちこちで
見られたなど。
5年が経過し、当時の面影を残すものは、何もありません。
ただ、良かったのは、ボランティア活動した家が残っていて、住んでいる様子がうかがえたこと。
今度、その家にうかがって、できたら震災やその後のことを聞いてみようと思います。

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多賀城社会福祉協議会の建物の中にボランティアセンターがありました。毎日、長蛇の列ができてました。

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私がボランティアで泥出ししたところ。

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この大通りには、津波で流されたバスや乗用車がたくさん横たわってました。

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震災当時、地震の影響で電車は走っておらず、名古屋から来たボランティアは、仙台まで高速バスできて、仙台から
折り畳み自転車に乗って多賀城まできてました。(仙台⇔多賀城 片道15km)

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女川町出島の祭りに参加してきました

こんにちは

ゴールデンウィーク最後の週末に東日本大震災で被災した宮城県女川町の離島・出島(いずしま)に
行ってきました。

この島には、震災1年後から5回訪れてます。
最初は、いつもの我々のボランティア(医療相談、マッサージ、炊き出し、餅つき、クラウン活動)などを
やってのですが、徐々に、区長さんから「実は……」と相談され

その相談とは、毎年島で行われる祭りがあり、高台にある神社から神輿を担いで港までおろし、みんなで
祝うのが、震災で担ぎ手の若者がいなくなってしまい、祭りができないかもしれない。そこで、できるだけ大勢で
神輿を担いで祭りを盛り上げていただきたい!!

その話を聞いて、我々は、これも立派なボランティア・交流活動だと思い、二つ返事で引き受け、それ以来
3度目の祭り参加。

祭りの前日は、島で唯一の民宿・出島に総勢25人で宿泊。いつもいつも、新鮮な魚介類を中心とした豪勢な
料理。その料理に舌鼓をうちながら、ボランティア、プライベート、遊びなど様々な話で盛り上がりました。
そして、なんといっても、いつも陰で我々を見守っている女将さんが、最後の方で一緒に飲みながら話を
してくれたこと。少しずつ、島の人たちと家族・仲間に近づいているような気持になりました。

祭り当日は、男子チーム、女子チームに分かれて活動。男子チームは神輿を担ぎ、女子チームは、出店・
餅つきの準備。毎年の事ですが、神輿を担ぐのはいいのですが、行きは高台から神輿を降ろし、帰りは
高台に上げる。いずれにしても、結構、疲れます。神輿を港(平場)まで下して、一旦休憩かと思いきや、
いきなり神輿の押し合い(綱引きの逆バージョン)をするように指示されて、必死に押し合います。へたすりゃ、
港におちるようなシチュエーション。これには参ります。
そんなへべれけになった体を癒してくれるのは、地元おじいちゃんの獅子ぶり、地元の生うに、女子チームの
餅、焼きそば、たこ焼き。どれをとっても最高でした。

我々としては、こんな地元の祭りに呼んでもらい、さらに神輿まで担がせていただき、交流ができるのは
とてもうれしく、楽しいことなのですが、できたら、将来的には震災前まで住んでいた若者が少しでも戻って
きて、自分たちで祭りを執り行ってもらいたい。そこに我々は、大勢の仲間と観光客で参加できればと思って
ます!!

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被災地の祭りに参加してきました!!

こんにちは~

1か月以上、放置してました。

先日、被災地の女川・出島に「新潟チーム・ませう」で行ってきました。

女川・出島は昨年も同時期に、お祭りのお手伝いに行きましたが、今回も同じお祭りのお手伝い。

震災前の出島には約500人の住民が暮らしていました。震災直後に、全島避難命令が出て、一時的に

島は無人島になりました。島内に仮設住宅ができたのは、その年の秋で、それまでには島民の多くは、

内地の仮設にバラバラで住んでしまっており、島に帰ることが困難な状況だったようです。そして、今は

約70人ほどが島に戻って暮らしていますが、そのほとんどは50歳以上の高齢者。もともと過疎が進んで

いたようですが、震災によってかなり加速化されたようです。1つあった小中学校は閉校になりました。

以前は、祭りになると老若男女、みんなで神輿を担いで、漁の安全祈願、豊漁祈願し、屋台やカラオケで

大いに楽しんでいたのに…。今は神輿を担ぐ人(若人)さえもいない現状。そんな、神輿の担ぎ手不足で、

わがチームに声がかかり、昨年から神輿担ぎ、屋台(餅つき、焼き鳥、たこ焼き、コーヒー、チェコ料理)

などで祭りを盛り上げています。

去年は担ぎ手が30人いたのに、今年は20人しかおらず、結構きつかったです。我々、よそ者が来ても、

島の人達は温かくもてなしてくれて、本当に楽しい時間を過ごすことができました。将来は、島に若者が

戻り、この素晴らしい島の祭や伝統を引き継いで欲しいと願うばかりです。

また、来年も参加する予定ですが、その時その時で、地元の方の意志や要望を聞きながら、地元の方に

少しでも寄り添ったお手伝いができればと思います。

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民宿「いずしま」からの眺め

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民宿での夕食、ホタテ、マグロ、甘海老、イカ、そしてミンククジラの刺身!!

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これが祭りの主役の神輿!! 神社のある高台から港まで神輿を担ぎ、そして港に着くと息つく暇もなく、
後ろと前で互いに押し合います。これが結構ツライ。昔はこれに負けると海に落とされたとか…

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地元のおばちゃんと楽しく餅つき

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たこ焼き班、コーヒー班、自分たちも楽しんでます

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子供達も頑張って焼きそばを作ってます

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このおじさんの獅子振りは最高です!!得も言われぬ独特のリズムで踊ります。たぶん、この踊りができる
のは世界でただ一人だと思います。先日、NHKにもでたそうです。



被災地交流活動その1

こんにちは~

5月11日、12日の2日間、新潟チームませうのメンバー20名で被災地の女川・出島に行ってきました。

いつもなら、医療相談、マッサージが中心の活動ですが、今回は島の区長さんから祭りを盛り上げて

ほしいとのことで、祭りの手伝いをさせていただきました。

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女川港から船に乗って30分ほどで出島に着きます。こんな格好でお祭りに参加していいのか?


島に着いて区長さんと祭りの打ち合わせをすると、意外な展開に…

祭りのメインイベントは神社から港まで神輿を担いで練り歩くことで、震災前は島の若手が担いで

いたそうです。それが、震災後は500人いた島民は70人ほどまでに減り、若手の担ぎ手がいなく

なったそうです。この神輿が出ないと祭りにならないので、新潟チームに担ぎ手になってほしいと

依頼されました。その言葉を聞いた我々は、「自分達でいいのか?」と一瞬、頭をよぎりましたが、

でも自分達でお役にたてるならと、全員一致で引き受けることにしました。

1人のメンバーが「神輿を担がせていただけるのは光栄だけど、うちら男10人で担げるだろうか?

しかも、メンバーも高齢化しているし…。」そんな不安を抱きながら、その日は民宿で美味しい

料理、お酒をいただき、楽しく夜は更けていくのでした。



そして祭りの日がやってきました。メンバー全員、新潟から持ってきた真っ赤なハッピを着、頭に

鉢巻を巻いて気合を入れます。いざ出陣!!

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みんな似合ってるよ!!


丘の上にある神社に着き、神社の前にある神輿を見て、メンバー達はこれならいけると小さくガッツ

ポーズ。しかも、我々の他に地元の方、他地域のボランティアの方など10名ほど頼もしい助っ人が

いました。どっちが助っ人かわかりませんが(笑)。

神輿に御神体を乗せて出~発!!

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これが神輿です。神主さんが御神体を神輿に乗せているところ。


「ちょーさい、ちょーさい」の掛け声で、慎重に丘の上から神輿を担いでいきます。

気合いを入れて担いでるつもりでしたが、神輿の担ぎ棒が私の肩より上で浮いています。よーく見ると、

私の隣には長身の外人が神輿をつらそうに担いでいました。いや~思いがけず、楽をさせていただきました。

外人さん、ありがとう!!


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丘の上から港まで神輿を担いで練り歩きます。時間にして20分くらいかな?


ようやく行きのゴールの港について神輿をおろし、みんな一息ついていると、区長から「よーし、

神輿の押し合いをやるぞー!!」との声が。そして神輿の押し合いが始まりました。綱引きの逆バージョン

といった感じです。押しているうちに味方どおしで一体感が生まれ、腰をおとして必死に押し合い

ました。結果は引き分けに終わりました。以前は、これに負けると殴られたり、悔しくて泣く人も

いたそうです。


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私は海側だったのですが、ちょっと息を抜くと、海に落とされそうな恐怖感がありました。


神輿を担いだ後は、みんなで出店、餅つきでお祭りを盛り上げました!!

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バーベキューコンロ(炭)で、焼き鳥とウィンナーを焼いています。

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こちらは、今回の初メニュー「たこ焼き」です!!結構、評判が良かったです。


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地元のおばさんの指導のもと、餅つきをやりました。医療班長・今井先生も今回ばかりは聴診器を
杵に持ち替えて餅つきに参戦。おばさんに、かなりダメダシされてました(笑)。



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今回は私の長男も一緒に行きました。神輿は担ぎませんでしたが、小さな子供の面倒をよく見て
くれました。更地になった町や港を見て、地震のすさまじさを彼なりに感じていました。


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寺間地区に明治のころから受け継がれてきた「獅子ふり」という獅子舞


今、女川・出島には祭りをやりたくても、若い人がほとんどいません。震災前にあった小中学校も

廃校になりました。島の人達は、本当は島に残りたかったのでしょうが、仮設住宅が本土にできたことも

あり、多くの島民は本土に移住してしまいました。いつの日か、また、子供の声が聞こえ、人々が賑わい、

楽しむ、素晴らしい島に生まれ変わることを祈らずにいられません。

もうすぐ三度目の春 忘れないでください

こんにちは~

昨日は、新潟「今を一生懸命活きる会」の定期会に参加してきました。

今回のテーマは「3.11から二年を過ぎようとしている東日本大震災、忘れないで」。


発表内容:

1.新潟よろず医療会「チームませう」活動報告:今井先生(新潟県立がんセンター医師)が発表

2.個人ボランティア体験記:私が発表しました。


チーム「ませう」とは新潟の医師、整体師、薬剤師が中心となって、東日本大震災の被災地で

医療相談、マッサージ、傾聴、交流活動を行っている団体。震災直後から、被災地に入り、

医療中心に活動、その後、約2か月の間隔で石巻、陸前高田、いわき、女川、大槌などに

通い、息の長い活動を続けています。私も昨年の2月から4回参加させていただき、料理の

手伝いなどをさせていただきながら、被災地の方々と交流しました。

東日本大震災からもうすぐで2年が経過しようとしてますが、復興にはまだほど遠い状態です。

被災地の方から直接 「私たちを、地震があった事を忘れないで下さい。」と言われています。

これからも、チーム「ませう」として「心のケア」を中心に活動を続けていきたいと思います。



私からは、東日本大震災の直後に参加したボランティアの体験談を話させていただきました。

以前、新潟水辺の会の会報へ同じ内容の記事を投稿し掲載(2011年6月1日)されましたので、

それを紹介します。長文ですみませんm(_ _)m。


1.はじめに
東日本大震災は3月11日に起こり、幸いにして私の実家である山形の被害はほとんど無かった。しかしながら、友人・知人の多い宮城県、福島県、岩手県などが大きな被害を受け、被害者、被災者が多く出た。地震発生後は、同じ東北人として何かやれることはないかと四六時中考え、早い段階での災害ボランティア参加を決意した。今回の地震は、以前の中越地震や中越沖地震とは比較にならないくらい甚大かつ広範囲で、ボランティアを受け入れる現地のボランティアセンターが立ちあがるまで2週間かかり、また、現地や周辺でのガソリンや食料調達も困難で、なかなか現地入りができなかった。ようやく自分が現地入りしたのは地震発生から3週間後の3月27日であった。その時でさえ、ガソリンや食料は現地調達できないという情報で、自分のガソリン、食料、宿泊場所は確保して行った。私が行った災害ボランティアは延べ7日、塩釜2日、多賀城5日、主なボランティア内容は浸水した家屋内の掃除(土砂撤去)、倒壊したコンクリートブロック塀の撤去などであった。

2.現地でのボランティアの流れ
 まず、各地のボランティアセンターに行き、受付をする。その時に名前・住所・連絡先などを記入し、保険にも加入する。意外に怪我することが多い。受付が終わると、被災者のニーズとボランティアする人とのマッチング(見合い)が行われる。ここでは、自分のできる仕事を見極めて意思表明し参加する。活動内容にもよるが、6人~10人くらいのグループに分けられて、グループで活動・行動する。仕事の内容は主に再生可能な住宅の掃除、周辺の瓦礫の撤去、活動時間は9時~4時。

3.活動紹介(塩竃 3月27日)
 活動内容は主に被災した家屋の掃除。塩竃では、津波で家が泥に被り、家の中に堆積した泥の撤去と掃除。手順としては、浸水した部屋にある家具、電気製品などを外に運び出し、使えるものとゴミの分別。次に床や畳の上に堆積した泥の撤去。塩竃では泥の中に重油が混じっており、粘り気が強くて比重が重い。泥の排除が非常に苦労した。次は水を多く含んだ畳の撤去。ほぼ再生不可。三条の水害でも同じような作業を行ったが、最後に畳下の板を剥がして、建物の内部に消石灰などで消毒したが、今回はそのような作業はなかった。塩竃の被災状況としては、基本的に港近くの低地での被害が大きい。浸水した家屋から判断して、道路より高さ4mくらいの津波が来たものと予測された。基礎が高い家屋でも、室内で2mくらい浸水しており、1階は完全浸水。基礎から持ち上がった家もあり、そのままでは住めない家も多かった。古い家屋では、室内の土壁が崩壊しており、強度が落ちていると思われた。とにかく泥の撤去が大変で、1件から多いところでは土嚢袋で50~100袋発生する。1袋あたり30kg以上。港近くでは、小型船舶が道路まで押し流されて、あちこちで道を塞いでいた。震災から2週間過ぎて、ようやく船の撤去が始まっていた。道路の脇には、津波で浸水して使えなくなった車が相当数置いてあった。車には、「無料で引き取ります」とのシールが張ってあった。ライフラインは水道は概ね復旧していたが、電気・ガスは一部のみ。スーパー・コンビ等の店はほとんど開いていなかった。もちろんガソリンスタンドは1件も開いておらず、開いていても午前中のみなど、現地で補給は不可能。初日のボランティア者に対しての説明で、余震が頻発しており、津波の来襲の可能性もあることから、ボランティア活動場所に着いたら、避難場所を決めてから活動するように言われ、被災地に入ったことを痛烈に感じた。幸いにして災害ボランティア中に大きな余震は無かった。

4.災害ボランティアに参加している人達
 ボランティアには日本全国から集まっている。一緒に活動した人達は高齢者が多い。とは言っても、常日頃体を動かしている元気な人達。やはり、定年退職して時間が自由になるのだろう。これらの人達の多くは日本のどこかで災害があるとすぐに駆けつける人達である。あとは私のように、1日だけでも手伝いに行きたいと思っている人達。それに地元の人達で、特に高校生や大学生が多く参加していたのには驚いた。上越から来た人は電車を乗り継いで、仙台まで来て、仙台からは折りたたみの自転車で塩竃まで来ていた。名古屋から来た人は夜行バスで来て日中ボランティア活動をして、その日の夜の夜行バスで帰っていった。0泊2日。

5.感謝の言葉(多賀城)
 見ず知らずの人達が日本各地から来てボランティアをしてくれることに感謝します。震災後、親戚や知人から無事を確認する電話がきたが、誰一人として泥出しなどの掃除に来てくれた人はいない。遠くの親戚より近くの他人。

6.現地ボランティアセンターの声
 1日でも活動していただけるのは本当にありがたい。どうしても、みなさんの休日の都合上、ボランティアが土日に集中してしまう。できることなら、分散または継続的にやっていただけるとありがたい。

7.おわりに
 災害ボランティアに参加して、新潟で周囲の人達に話をすると、以外に関心のある人が多かった。私と同じように、地震直後から現地で困っている人に対して何かできることはないものか、いてもたってもいられないと思う人が多くいたようだ。ただ、気持ちはあっても情報収集、手段がわからないようであった。情報としては、各市町村でボランティアセンターが立ち上がっており、インターネットで収集可能。不明な点は直接電話するのが望ましい。ボランティア活動の場所が遠方で宿泊を伴うことから、宿泊を確保できない場合はボランティアツアーなどもあるようなので、それに参加するのも一つの手。災害ボランティア活動に参加する際には、事前にマニュアル(http://www.nsv-net.jp/cat54/)、心得(http://www.nsv-net.jp/cat54/cat55/)を一読することをお勧めします。

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塩釜 2011.3.28

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塩釜 2011.3.28